周恩来記念館内にある嵐山詩碑は、日本の友人が日本の嵐山詩碑を模倣して建設したもので、ベースと本体という二部分からなります。詩碑本体は、磨きをかけていないオークル色の鞍馬石で、正面には『雨中嵐山』と彫刻されています。詩碑全体の外観と構造は、通常の意味での記念碑の高さ、大きさ、華やかさがなく、拘った雕刻プロセスも施されていません。詩の内容として: 雨の中で二回も嵐山を遊覧し、両岸に鬱蒼とした松木に 幾つかの桜を挟んでおり、尽きるところに一つの山があり、緑の泉から水が流れており、石を囲んで人を照り、こっそり降った雨で濃い霧をなし、些かの日差しは云を通して出ており、なおさら色ぽっく、人間の万象真理は求めれば求めるほど曖昧になっており、ぼんやりした中で偶然に少しの光明が見えており、益々色ぽっくなっています。
この詩は、周総理が日本で留学(1917年9月—1919年4月)し、帰国する前に書いたものです。嵐山は京都の近郊にあります。周恩来総理は若い時に、救国の真理を求めるため日本に渡航し、嵐山を遊覧する時に、彼は『雨中嵐山』という詩を描きました。この詩において、彼は景色を借りて自分の情けを語り、中華を振興する偉大な大志を語りました。前世紀の70年代末、日本の有識者、一部の日中友好団体は、周恩来の詩碑を創設することを提唱し、彼が日中友好事業のためになされた大変苦労な功績を謳います。詩碑落成後に、鄧穎超は自ら日本に赴き、詩碑の落成のために幕を開けました。